青の書斎

ドラマ・映画・小説などのレビューを書いています。

~赤い十字架の示す少女の運命~『クイーンズ・ギャンビット』第1話「オープニング」

〇少女はチェスに出会い…

ちょっと前から気になっていた連続ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』を見始めました。これはチェスの世界を舞台に描かれるストーリーで、ときは1950年代。母の死に伴い児童養護施設に入った主人公の少女・ベスは、地下室でひとりチェスをたしなむ用務員・シャイベルに出会い、瞬く間に腕を上げていきます。

〇第1話の概要

ベスは児童養護施設で授業を受けますが、時おり黒板消しを地下ではたいてくるように命じられます。地下には休憩中の用務員・シャイベル老人が一人チェスに興じています。初めは「女のやるものじゃない」と彼女を寄せ付けないシャイベルですが、ひとりでに駒の動きを覚えてしまったことがきっかけで、少しずつチェスを教えます。とはいっても、彼は基本的な型を示してやるくらいで、指導をほとんどせずとも、彼女は自分の頭の中で盤面をイメージし、次々とシミュレーションを重ね、あっという間にシャイベルには手の付けられないほどの指し手になってしまいます。
シャイベルの紹介でハイスクールのチェスクラブに招待されたベスは、12面同時対局という熱烈な歓迎を受けます。しかし、彼女にとっては全く物足りず、簡単にねじ伏せてしまうのでした。
施設に戻ったベスは、お土産のチョコレートを頬張りながら、男たちの「軟弱ぶり」をシャイベルに語りますが、その後は薬の禁断症状によってイラついたり、薬を手に入れるために施設内で犯罪的な行為に走るなど、破滅感を呈するようになります。

〇見どころその1 少女の成長と薬物…光と影のまざる複雑さ

『クイーンズ・ギャンビット』の面白いところは、単に少女が鬼のような才覚を見せてチェスの腕を上げていくというサクセス・ストーリーではない点です。彼女にとっての不幸は、唯一の肉親である母を喪い児童養護施設に入ったことだけでなく、薬物を飲まされてしまったことです。
しかし同時に、この薬物がきっかけとなり、チェスの学習において類まれなる集中力を発揮し、力をつけたようにも描かれています。チェスプレイヤーとしては幸福なことかもしれませんが、人としての道は踏み外しているといわなければなりません。
子どもに薬物を与えるなんて…と、その不道徳さに嘆かされたかと思えば、ベスの圧倒的なチェスへの適応力に目が離せなくなってしまう。この、光と影の混ざった複雑な成長過程の描写に魅力を感じてしまいます。

〇見どころその2 天井のチェス盤

就寝時に緑色の薬を飲んだベスには、窓から天井に差し込む木の影が、やがてチェス盤のチェック柄に見えていきます。薬物の覚醒作用か、あるいは幻覚症状によるものでしょうが、これを機会にベスは様々なシチュエーションを幾度もシミュレーションし、チェスのうでを上げていくわけです。
天井に逆さ立ちする駒たちとそのおぼろげな描写が、おぞましい感じもするし、また不思議で興味をそそるようでもあります。

〇見どころその3 十字架を背負わされた少女

第1回のラストシーンでは、皮肉にも救済の象徴であるはずの赤十字マークが、人々の罪を背負って命を絶ったイエスの「十字架」のように、ベスの背後に控えるのでした。このカットに登場する赤十字は、ベスが抜け出してきた上映室で放映されている作品が『聖衣』であることからも、薬物依存という人の罪の象徴として映しているように考えられます。一方では、チェスプレイヤ―として生きていく、彼女に背負わされた運命を暗示するものかもしれません。

〇う~ん、でもちょっとドキドキさせすぎ?

映画の上映中、ベスは皆の目を盗んで、薬を手に入れます。目的の薬は鍵のかかった部屋に保管してありますので、地下の工具を拝借して無理矢理こじ開けるわけですね。当然、犯罪といっていいようなことをやっているので、視聴者の側はドキドキさせられます。こういった演出はいい意味で映像作品に緊張感をもたらし、受け手にとっては手に汗握るスリリングな展開として親しまれていますが、余り長すぎるとストレスが溜まってきます。
何といっても、上映中の音がすぐ近くで聞こえるほど、薬の保管庫は隣接しているのです。帰りの遅いベスを先生たちが見回りに来ないか、他の生徒がたまたまベスのいる方にやってこないか、見ている側はヒヤヒヤです。個人的には、ちょっとこのヒヤヒヤタイムをもう少し縮めてもいいんじゃないかな?と感じました。

 

次回、第2話。

どうぞお楽しみに。

~恐怖!逆接待…そして、“2人の山岡“~『美味しんぼ』第4話「活きた魚」

〇第4話の概要

舞台は秋の軽井沢。

大日エレクトロン社のゲストハウスに招かれた谷村部長・山岡・栗田は黒田社長が自ら振舞うシマアジを味わいます。しかし、その場に居合わせた子どもが「うまくない」と苦言を呈し、ワンマン社長・黒田は怒りをあらわにします。対して、山岡は子どもを援護。よりうまいシマアジを食べさせると啖呵を切ります。翌日、山岡は海から上がったばかりのシマアジをその場で活〆し、黒田社長のシマアジと味比べ。山岡の出したシマアジの方がうまく、黒田社長はおごった態度を反省し子どもにも謝意を示します。

さて、今回も緊迫感のある見どころがたくさん!

 

見どころその1 窓越しの風と、シーンの橋渡し

谷村部長が「あれが大日エレクトロンのゲストハウスだ」と言うのに呼応して、栗田さんは窓を開けて歓声を上げます。それまで静止していた髪が風になびいていますね。車の中にいながら、外の空気と触れ合っています。車中で過ごすシーンから、車を降りてゲストハウスへ向かう、その橋渡しの役割を担うカットと言え、目的地への到着間際の高揚感を演出しています。

 

見どころその2 恐怖!逆接待

大日エレクトロンの黒田社長は自他共に認める食通で、食べるだけでは飽き足らず料理の腕も職人顔負けとのこと。招かれたゲスト達は調理場の設備の素晴らしさ、シマアジの刺身の素晴らしさを口々に褒めます。黒田社長は謙遜して「いやいや、そんなことは」と言いますが、語気や表情をうかがうに、彼が有頂天であることを理解するのに時間はいりません。その場に居合わせた誰もが招待してもらっている身で、相手は世話になっている大会社の社長ですので、元より称賛以外の言葉を発する術もないわけです。このことから、実は、黒田社長が来賓を接待しているのではなく、自分を褒めさせるために招待客を次々と呼び出しているという構図が見て取れます(逆接待)。社長の思い上がった性質は、冒頭に谷村部長から説明のあった「ワンマン社長」という形容が、既に暗示していました。

 

見どころその3 ふたりの“山岡”

この回の面白いところは、山岡的な存在が2人いるということです。1人はもちろん山岡士郎本人ですが、もう1人は黒田社長が同席させた自社社員の息子(幼児)です。この子どもは、ゲストハウスのロビーでサッカーを始めてしまうなど、自由奔放。両親はその場その場で叱りを入れますが、おこまりの様子。その後も「板場に入ってみたい」「(シマアジの泳ぐ水槽を見て)水族館みたい」など、たくさんのゲストがいる中で歓声を上げます。周囲の大人達は、子どもの天真爛漫さがおかしくて、声をあげて笑い合います。
しかし、さらに盛られたシマアジを口にすると一変して「このシマアジはおいしくない」と言い、場の雰囲気を凍りつかせます。初めは黒田社長も「子どもには難しかったかな」などとかわしていましたが、「そうは言ってもまずいものはまずい」との怒涛の追撃(笑)を受けて、さすがに不快感を露わに。両親はその場で土下座して赦しを乞いますが、社長は「せっかくの会がめちゃくちゃ」と難じ、所属部と名前を問います。すると、すかさず秘書が情報を公表。ほとんど「逆らうものはこうなる」という見せしめのような運びに、山岡が「その子の言っていることは正しい」とフォロー開始。果たしてめでたく翌日のシマアジ対決へともつれ込むのでした。
社会的な繋がりが重荷となって大人が尻込みして言えないことを、正面きってぶちまけるのは本来山岡の仕事ですが、今回は子どもが先陣を切り、後詰(ごづめ)を山岡が担当するという構成になっています。第1話〜第3話の「山岡単騎切り込み型」とは別の味わいがあって面白いですね。

 

おすすめカット

実はこの回、いつも穏和な谷村部長が、山岡に対して「負けたら君だけじゃなく、東西新聞の問題にもなるんだぞ」と釘を刺しています。なかなか厳しい口調です。しかし、これはキャラクターが一定していないという設定上の粗ではなく、単純に他の上司が全員欠席だったからお鉢が回ってきたということでしょう。新入社員の栗田さんでは、叱り役としてもの足りません。ここは谷村部長が上から押さえつける素振りを見せておかないと、山岡の勝利に十分な番狂わせ感が出ませんからね。黒田社長の活〆したシマアジと、山岡の既に死んでいるシマアジ。この劣勢に加えて、上司からのプレッシャーや周囲からの落胆の声。まさに崖っぷちです。それでも、皆シマアジを食べてしまうと全員意見が180度変わってしまうわけですから、怖いものですね。谷村部長、いいお仕事でした。

 

次回、第5話レビュー。

お楽しみに。

 

 

 

~過去と未来をつなぐ「赤い」トマトの存在~『美味しんぼ』第3話「野菜の鮮度」

〇第3話の概要

究極のメニューを担当する山岡・栗田は、栄商グループの経営する新しいデパートへ取材へ向かいます。しかし、売り場の野菜やレストラン街の品質にダメ出しをする山岡は板山社長を怒らせてしまい、東西新聞社の広告収入が激減。それでも山岡はどこ吹く風。上司たちから責任を取るよう迫られると、「板山社長のおごった考え方を矯正する」という形で応接。板山社長は山岡の出すうまい野菜を食べると、少年時代を思い出し、自分の傲慢さに気づきます。その結果、東西新聞に対する経済制裁は解かれ、また山岡のことを食べ物のエキスパートとして一目置くようになりました。

 

見所その1 ケース越しの顔…記者の表情の見せ方

板山社長が直々に案内する新設の「ニューギンザ・デパート」。フロアの大きさと品数の充実、鮮度の高さに記者たちは感心することしきり。ただ、その表情を正面から描き続けてはくどいためか、商品ケースごしに反射して映った顔を描くカットが差し挟れます。こういった変化球により、ストーリー展開の単調さを回避しています。

 

見所その2 地下でバトル開始、最上階で爆発。秒読みの緊張感!

この回で特に面白いと思うのは、社長・板山の怒りの演出。

デパート案内中の様子を追ってみましょう。

 

  1. 記者たちに野菜売り場を案内
  2. 山岡、トマトの品定めをしたのち、投げ戻す
  3. 板山社長、音に気付き振り返る
  4. 山岡、売り場の大根を折り鮮度を確かめ再び投げ戻したうえ「見てくれだけか」と吐き捨てる
  5. 板山社長、山岡の振る舞いを見て顔をしかめつつも、記者の手前怒りを抑える
  6. 板山社長、レストラン街の説明へ。振り返って山岡の言動を警戒。
  7. 山岡、デパートのレストラン街には価値がないと一蹴。
  8. 板山社長、うなり声をあげて怒りを我慢する様子。ただ、抑えきれずに山岡を怒鳴りつける。

 

板山社長、お疲れ様でした。社長という地位にある手前、山岡の無礼なふるまいをしばらくは我慢していたようですが、力を入れたレストラン街ですら「見る価値なし」ときびすを返す山岡にとうとう堪忍袋の緒が切れ、怒り心頭に発します。この応酬が地下から始まって、最上階のレストラン街で怒りが頂点に達するという運び方も、演出上大切な要素ですね。

 

また、山岡が無礼に振舞うたび、栗田さんが何らかのアクションを起こします。トマトを投げ戻すときは「あっ…」と言いつつ表情を曇らせ、大根のときは「山岡さん」と名前を呼びつつ、「(悪口が)聞こえるわよ」と諫めの言葉をかけ始めます。最上階では「山岡さん、また何かやりだす気じゃ…」と心配。「(レストラン街は)取材の価値がない」とする山岡に対しては「どれもこれも名店ばかりです。せっかくだからごちそうになって…」と、個人的な食欲も織り交ぜつつフォローに入りますが、振り返ってみるとお怒りの板山社長が…。

 

栗田さんの振る舞いは、非常識な山岡に対して、視聴者が抱く常識的な感覚を表すものになっています。山岡の出鱈目な振る舞いがある一方で、少なくともそれを良くないと感じているキャラクターを置くことで、見ている側は「栗田さんは自分の感覚と近いな」と安心することができるわけですね。無頼者に呼応する常識派がちゃんと配置されているから、演出上のバランスの良さを感じることができるように思います。

 

このバランスを極端に欠くと、「みんなの為に行動しているのに、不運が重なってすべてが裏目に出て、むしろ恨まれてしまう」という救いのない演出になったりします。見る側の強力な欲求不満を呼ぶので、扱いが難しいように思います。

 

見所その3 板山社長の過去・未来をつなぐ「トマト」の存在

銀座の一等地に立派なデパートを立てた板山社長でしたが、野菜の鮮度についてはいまいち。自信を持っていただけに、他社の若造である山岡から難癖にも似た言葉を受け、怒り狂います。ただ、山岡の指摘は辛辣なものですが、物事の核心は捉えています。板山社長には彼の言葉を素直に受け入れるだけの余裕がなかったのですね。

 

特に重要なキーとなるのが、トマトです。板山社長は少年時代、経済的な余裕のなさから空腹のことが多く、近所の畑でトマトを盗み食いしてはゲンコツを食らいしことしばし。農家のおじさんからの仕置きは辛かったが、新鮮なトマトの味もまた克明に覚えていた。一方、現在はデパートでトマトを大量に扱っています。トマトは運送中に赤く色づくよう計算して運んでいますが、果たして畑で熟したトマトの味には及ばない。トマトが赤いのは当たり前ですが、外見だけでなく中身のクオリティにまで気を配った山岡の鑑定眼が際立ちます。

 

つまり、大量生産・大量消費を重視するあまり、トマト自体の旨さ、新鮮な野菜を食べる喜びというものを忘れてしまったわけです。その結果、デパートに二流品のトマトを並べて得意げにそれを記者へ紹介し、たまたま居合わせた山岡に厳しい指摘を受けたのですね。その場では若者の戯言と、到底受け入れられない社長でしたが、後日山岡の誘いを受けて野菜をごちそうになると、味覚をスイッチにして辛い少年時代を思い出します。大根の活け造りも食し、野菜に儲けのヒントを見出すと山岡に大いに感謝し、足早に社へと戻るのでした。

 

こうして見ると、トマトを軸に板山社長の過去と未来が見事につながっていることが分かります。ストーリーの運びが鮮やかですね。

 

おすすめカット

山岡の鋭い観察眼を認めた板山社長は、デパートの業態でまずいところがあれば是非教えて欲しいといって彼を連れまわします。前半の険悪な雰囲気が一気に晴れてハッピーエンド。これには東西新聞の皆さんもニコニコです。ラストカットの一つ手前で谷村部長と栗田さんが顔を見合わせて笑いあうのを見ると、なんだかこちらまでホッとしますね。BGMの爽やかなハーモニカも郷愁を誘って素敵です。

 

次回、第4話レビュー。

お楽しみに。

古今和歌集・春歌上・5番歌「梅がえにきゐる鶯 春かけて鳴けども いまだ雪はふりつゝ」

・詞書

題しらず

 

・作者

よみ人しらず

 

・歌

梅がえにきゐる鶯(うぐいす)

春かけて鳴けども

いまだ雪はふりつゝ

 

・訳

梅の枝に来てとまるうぐいす

春をかけて鳴くが

いまだに雪は降り続いて。

 

〇「梅に鶯」の取り合わせ

取り合わせのよいものを指した「梅に鶯」という言葉がありますが、これにはバリエーションが複数あります。

 

・松に鶴

・竹に虎

・竹に雀

・紅葉に鹿

・獅子に牡丹

・波に千鳥

・柳に燕

 

どれも絵になるような、相性のよいもの同士であることを指します。面白いのは、竹の中でさらに2バージョン分化してあること。虎と雀とでは勢いも力強さも全く異なるので、どちらを好むかでその人の趣向を探れる気がしておもしろ気です。

 

〇春の歌にあえて「春」を入れる意味

梅の枝にとまった鶯。似つかわしい取り合わせですね。梅を初句に置き、第二句ではその枝に来てとまる鶯が登場します。春の歌として、穏やかな歌い出しだと感じます。言い換えれば、それだけで「ああ、これは春の歌だ」と理解することができるわけです。それにもかかわらず、この歌にはわざわざ「春」という言葉が詠み込まれています。

 

31文字という限られた字数を駆使して歌を詠むため、いらないものはそぎ落として、真に必要なものを配置する。それが和歌の基本姿勢だと思います。「梅」「鶯」は春の代名詞的存在なので、「春」という単語を差し挟む必要は本来ないはずです。むしろ、当たり前に分かっていることを繰り返して、野暮な感じになってしまうかもしれません。

 

今回の見所は「春かけて鳴けども」です。
「鶯が枝にとまっている、鳴いている」と詠むのはかんたんですが、どんな様子で鳴いているのか、それをどう描写するのかは、作り手のうで次第になると思います。

 

この歌では、「鶯が、くる春を心にかけ、思いながら鳴く」とすることで、春を待つ作者の、ひいては人々の気持ちを、鶯に託しているとみることができるように思います。そういう歌を作りたいなら、「鶯が『春』を心待ちにして鳴いている」というように、「春」のワードがしっかりと入っていた方が、歌の趣が分かりやすくなりますね。

 

さらに梅、鶯、それらをつなぐ春、という温かな色味を持った言葉が上の句に連なる一方、下の句では「雪はふりつゝ」とあり、気候上は雪の降り続くことが示されます。前半と後半とを境に、春と冬とのせめぎあいが起きているのですね。

その対比の構えを強調する意味でも、「春」の言葉が入っていた方が、歌の趣がはっきりとするように思います。このように、歌全体の価値を確かなものにするためには、一見不要と見える情報を取り込むこともある、と言えるのではないでしょうか。

 

〇雪はふりつゝ…の余韻

春を待つ鶯が鳴くけれども、立春そこそこの早春では、まだまだ雪が降り続いている。しかし鶯が鳴くからには、確かに春は近づきつつある。色々な気持ちが想像できます。

 

明るい上の句に対して、下の句は「雪降り」によって明らかにトーンダウンしています。その、雪の降り続くシーンをイメージさせながら徐々にフェードアウトしていく、そんな効果を発揮するのが「つつ」です。繰り返しや継続を表す言葉ですね。上品な余韻を残しながら、歌は終えられています。

 

〇各句に配された名詞と起承転結

初句の「梅」

二句の「鶯」

三句の「春」

結句の「雪」

 

それぞれの句に配置された名詞を俯瞰すると、「梅がある、鶯が鳴く、春らしい、しかしまだ雪が降る」と、ある種4コマ漫画のように起承転結を追うことができます。この点も歌に心地よいリズム感を与える重要な要素であるように感じます。

 

次回、6番歌に続きます。

~折衝力抜群!谷村部長のありがたさ~『美味しんぼ』第2話「士郎対父・雄山」

〇第2話の概要

山岡士郎の父・海原雄山の初登場回です。

東西新聞の事業部が企画する印象派美術展の目玉作品として、京極万太郎氏からルノワールの作品を出展してもらうことになりましたが、奥野事業部長はその接待に失敗。山岡・栗田は究極のメニュー担当者として彼を接待し直すよう社主から命じられます。

辰や岡星の助けもあり接待は成功したものの、後日父・海原雄山東西新聞までやって来ると、山岡に対して「お前にものの味はわからん」と言い放ち、これがきっかけとなり対決へ。その内容は、優れた天ぷら職人を調理前に見抜くというものでしたが、雄山の鋭い洞察力に敵わず、罵倒され、その場を飛び出してしまいました。

しかし、かえって心に灯がともり、山岡は雄山打倒に向けて奮起するのでした。

 

見所その1 欄間越しに修羅場をのぞき込む演出

京極氏は奥野部長から接待を受ける際、季節外れの献立が連続したため腹に据えかねて怒り出します。半ば説教のように料理がなってないことを主張し続けますが、こんなシチュエーションには誰しも居合わせたくないもの。和室の欄間からひっそりとのぞき込むようなカメラアングルで捉えることで、空間がよそから隔絶された一つの密室であることを強調します。またその場の誰もが京極氏の剣幕に気圧され、固まって動けない「修羅場感」も醸し出しているように感じられます。

 

見所その2 音声と映像の意図的なタイムラグ

社主から再接待を拝命した両名を正面から映したのち、突然銀座の街並みに移ります。少し間をおいてから山岡の声で「分かりました、やってみますよ」と流れます。このセリフは社主室のカットで発されるのが自然ですが、それでは一本調子。あえて銀座の風景に移ってから過去のやり取りを再生することで、物語の進行がスムーズになっているように感じられます。大通りから路地裏へと、二段階に分けて目的の場所へフォーカスしていくプロセスもいい感じです。

 

見所その3 折衝力抜群!谷村部長のありがたさ

谷村部長(谷村秀夫)は、個性の強い『美味しんぼ』の面々の中にあって、ひときわ良心的・常識的な存在です。彼がその場にいるだけでも、視聴者を安心させてくれます。この回における谷村部長の言動を確認してみましょう。

  1. 「岡星」に案内されて怪訝な表情をする京極に対して「究極のメニュー」担当者をにこやかに紹介する。
  2. 京極に出された料理を見て富井副部長・奥野事業部長が取り乱す中、谷村部長も一度は「こ…これは」と声を荒げるが、そのあと冷静さを取り戻し、「山岡くん、これは一体?」と、事情を質そうとする。
  3. 京極が、出された米の産地を言い当てた際、栗田が称賛するのに呼応して「信じられん」と、すかさず合いの手を入れている。
  4. 京極が接待に満足し、ルノワールの作品を貸してくれることになった際、個人的な喜びを爆発させる周囲に対して、谷村部長は「京極さん、ありがとうございます」と謝意を先に示してから「よかった」と胸中を吐露している。
  5. 山岡の辞表に対して「君はそれほど究極のメニュー作りの仕事をするのがイヤだというのかね?」と、ここでもまずは事情を尋ねている。急ぎ足でダイレクトな質問をぶつける富井副部長の存在との間で対比が生まれ、冷静さが際立つ。
  6. 花村が話に割って入っても、機嫌よく「うん、誰だね?」と穏やかに対応する。
  7. ノーアポで東西新聞を訪れた海原雄山を丁重に歓待する。
  8. 海原雄山からの突然の依頼「翌日腕のいい天ぷら職人を何人か集めて、どこか適当な店を借り切ってくれたまえ」にも即座に対応。
  9. 海原雄山のことを知らない富井にも彼のことを懇切丁寧に説明する。
  10. 天ぷら対決の場で、山岡に対して特定の職人を選んだ根拠を尋ね、その説明に対して納得の意を示し、部下の努力をねぎらう。
  11. 父子の両方を立てるため、雄山に対しても職人を選んだ理由を訊く。
  12. 一度辞表を出した部下に対して再挑戦のチャンスを与えてその背中を押す。

 

探してみると谷村部長の活躍場面が思いのほか多く、第2話の影の主役は谷村さんではないかと思わされてしまいます。一方、富井副部長は役職に対して力不足である様子がたびたび描かれますが、その分、谷村部長の上司としての有能さや苦悩に深みが出るため、重要な役どころだと思います(ただ、富井さんは回を追うごとに声がどんどん甲高くなっていき、少々くどいところは否めないように思います)。

 

おすすめカット

谷村部長が海原雄山について説明したのち、山岡が地下鉄に乗るシーンへ移ります。その際、山岡の表情が地下鉄の窓越しに映るところが面白く感じました。車中の人物の顔が、走行中の車窓に映る演出はよくありますが、ホームに滑り込んできた列車の窓に、ホームに立っている人間の姿が映るのは、どちらかというと珍しいかな?という気がします。海原雄山に戦いをけしかけられて、山岡がどういう表情をしているのか気になるところですが、真正面から映さず、こういったギミックを通じて表現するところが、ひとひねりあって楽しいですね。

 

次回、第3話レビュー。

お楽しみに。

 

俳句・石田波郷「雀らも海かけて飛べ吹流し」

・所収

『風切』 一条書房、1943年

 

・作者

石田波郷(いしだはきょう、1913年3月18日 - 1969年11月21日)

 

・句

雀らも海かけて飛べ吹流し

 

〇初句の訴求力

「吹流し」といえば端午の節句。子どもの健やかな成長を祈って庭先に出し、泳がせます。こいのぼりと一緒に見かけることが多く、それらが晴れ渡った空を泳ぐ姿は勇壮で、見る人を爽快な気持ちにさせてくれます。なお、「吹流し」は一般的に細長い円筒形の布を指しますが、鯉のぼりそのものを言う場合もあります。

 

さて、初句で登場する「雀」ですが、多くの人にとっては小さくかわいらしい鳥という認識があるのではないでしょうか。その「雀」に対して、こともあろうに「海かけて飛べ」というので、受け手は何のことかと驚きます。

 

〇比喩の落とし穴

もちろん、端午の節句という時期を考えると「雀」は「子ども」、「吹流し」は「大人」の比喩と捉えることができますが、だからといって句中の言葉をそのまま読み替えてしまっては、俳句の趣が変わってしまうように思います。

つまり、「雀」はあくまで「雀」だと思うのです。

そのまま「雀」が「海かけて飛」ぶ様子を思い描けばいいのではないでしょうか。実際、俳句の字面から立ち上がるイメージは、その通りのものであるはずです。

 

ただ、そこに「吹流し」というワードが入ることによって、「端午の節句」が頭に過ぎり、懸命に飛ぶ「雀ら」の姿が「子どもたち」とかぶさってくる。雀の姿を通して、子どもたちの成長と巣立ちが暗示されるわけですね。

 

〇「も」に見える温かな視線

結句に見える「吹流し」は、作者が初夏のある一日を過ごしていることを理解させてくれます。端午の節句に表れる力強い「吹流し」。その勇壮な姿を目に焼き付けた後で「雀」を実際に見たのか、あるいは「子ども」をイメージさせる小動物を想像で補ったのかは定かではありませんが、ともかく、二者を対比させるアイデアを思い付いたのですね。

 

その構えをみると「小さくはかない『雀』にくらべて『吹流し』は勇壮である」という、優劣をはっきりさせる対比ではなく、「雀たちも海をかけて飛べ、吹流し(のように)」という、小さい者の背中をおし、立てるような趣意になっています。

そのとき「も」が、か弱い存在である雀をしっかりと拾い上げます。子を見守る親の厳しくも温かい目線を感じさせられるように思います。

 

※吹流し(のように)という言葉の補充は、厳密には好ましくないように思われます。作者はあくまで「吹流し」の体言止めで句を終えています。

 

〇なんで句末が「鯉のぼり」じゃないの?

石田波郷の時代に「鯉のぼり」という言い方が一般的でなかったのなら、ただ言葉に選択の余地がなかったという、それまでのことだと思います。それに、前述の通り「吹流し」には「鯉のぼり」そのものを意味する場合もあります。

 

しかし、そういった要素を抜きにしても、本作において「吹流し」という言葉の選択は間違っていなかったように思います。それは字面の問題です。空を渡る風を感じさせる「吹く」に、海の営みを思わせる「流し」。どちらも動的な言葉で、句風に合います。

さらに細かくみると、句を読み上げた際に「ふきながし」の語頭と語尾には風を感じさせる音、「ふ」「し」が入っています。これは「こいのぼり」にはない特性です。

 

こういったことを考え合わせると、「吹流し」という言葉の選択には肯かされてしまう、というのが私の感想です。

 

※「短歌」シリーズは、アップのタイミングや選歌について、不定期です。

次回をお楽しみに。

〜「アムロとシャアの物語」はいかに継承されたか〜『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』映画レビュー

6月11日金曜日に公開された劇場作品『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を鑑賞して来ました。

宇宙世紀シリーズの正当続編

本作は

機動戦士ガンダム

機動戦士Zガンダム

機動戦士ガンダムZZ

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

機動戦士ガンダムUC

に続く正当な後継作です。

○「アムロとシャアの物語、その先」

映画の公式Twitterアカウントには俳優・及川光博さんのコメントムービーがアップされています。観終えたばかりの新鮮な気持ちで、このコメントを軸に作品を振り返ってみたいと思います。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ on Twitter: "ガンダムファン歴 42年 #及川光博 さんも大絶賛👏 「アニメを超えている映像作品」 シャアとアムロのその先の物語を 劇場で目撃せよ――💥 『機動戦士ガンダム #閃光のハサウェイ』 6.11(金)全国ロードショー #小野賢章 #上田麗奈 #諏訪部順一 #斉藤壮馬 #古谷徹"

 

【人物・物語を軸に】

このコメントを言葉通りに信じて劇場へ足を運ぶことについては、慎重になった方がいいように思います。

まず、作中の登場人物は殆どが『閃光のハサウェイ』のオリジナルキャラクターです。『機動戦士ガンダム』から『機動戦士ガンダムUC』までの過去の作品を観て、知っている人物が登場することを期待して映画を鑑賞すると、満足を得ることは難しいでしょう。主人公のハサウェイ・ノアについても、『Z』『逆襲のシャア』で登場した幼少・少年時代の彼とは違い、成熟した大人として描かれます。『逆襲のシャア』のワンシーンがフラッシュバックするカットもありますが、瞬間的なものです。途中、アムロ・レイの囁きが聞かれますが、これも同じです。

ストーリーとしては、わかりやすい構図になっています。地球の汚染を加速させる地球連邦政府に抵抗する「マフティー」という勢力は、グリプス戦役における「エゥーゴ」を思わせます。さらに言うと、正規軍である連邦に対して「マフティー」は人目のつかない場所にアジトを構えており、軍紀のようなものが余り感じられません。「エゥーゴ」よりもさらに、独自に活動する私(わたくし)の部隊という雰囲気があります。

モビルスーツを軸に】

閃光のハサウェイ』公式ホームページによると、登場メカは以下の通りです。

・Ξ(クスィー)ガンダム

ペーネロペー

オデュッセウスガンダム

・メッサーF01型

・メッサーF02型

・メッサーF02型 マインレイヤー

・メッサーF型 ネイキッド 指揮官機

・ギャルセゾン(SFS)

グスタフ・カール

・ケッサリア(SFS)

・陸戦用ジェガンA型 マン・ハンター仕様

・ハウンゼン356便

ジェガン」はほぼかつての形姿を留めますが、主役機にかつての「RX-78-2ガンダム」の面影を感じることは難しく、新作機体が多いように感じます。作品冒頭でティターンズ機「ギャプラン」の機影が確認できるのは、ちょっとしたファンサービスといったところでしょうか。しかし、「ギャプラン」も殺陣に参加することはないようです。

以上のように、登場人物・登場MSの両面から見て、往年の作品に深く親しんだファンを楽しませるというよりも、過去の世界観を踏襲しつつ、登場人物を一新して、ガンダムの新しい可能性を開拓する野心をみせた作品であると言った方がよさそうです。

そういったことから、本作は間違いなく「アムロとシャアの物語のその先」ではあるのですが、かつての作品の見慣れた風景を期待して見ると疲れてしまうでしょう。新しいガンダム世界を切り開く3部作の序章として鷹揚に受け入れるのがよさそうです。

また、先のツイートにおいて「(『閃光のハサウェイ』は)アニメ作品を超えている映像作品」と激賞する及川さんの様子が伺えますが、これはガンダムシリーズに対するご本人の思いと、お仕事としてのリップが半々くらいに混じったもの、というくらいに受け止めておいた方がいいように感じました。

 

○短い上映時間で、登場人物にどこまで共感させられるか

劇場版の強みは、なんといっても大迫力の画面と、体に「ぶつかってくる」といっていいほど力強いオーディオです。自宅では再現し得ない環境で、作品を体感することができます。その分、体への負担がかかるため、長時間集中することは難しい。長くても2時間ほどの上映時間の中で、映画の登場人物に観客の感情移入を誘う必要があるわけです。

TVシリーズなら、毎週放送されるたびに内容を反芻したり友人と話し合ったりして、登場人物の言動を検討することができます。そして、自分なりに消化したあとで、翌週また新しい放送回を迎える。この繰り返しを通して、作中の登場人物を好きなのか嫌いなのか、納得できるのか理解できないのか、といった具合に折り合いをつけてゆくわけですね。

しかし、劇場作品はその一作が全てです。もちろん『閃光のハサウェイ』は3部作ではあるのですが、だからといって序章のテンポが悪く、登場人物の言動にも共感できなければ、次作以降に対する期待は弱まり客足は遠のきます。そのため、TVシリーズよりもコンパクトでありながら、かつ面白く仕上げることが求められるのではないかと思います。

登場人物の性格を最も如実に示すものの一つにキャラクター同士の問答があります。『逆襲のシャア』における重要なやりとりの中に、ハサウェイ・ノアクェス・パラヤのコミュニケーションがありました。考え方の異なる二者が出会った際、互いにどういった反応を見せるかが見どころです。『閃光のハサウェイ』においては、クェスの代わりにギギ・アンダルシアという女性がハサウェイと問答を行います。

反連邦の活動を主導しつつも、タクシー内で「学が深すぎる」とのからかいを受け、それを後で思い出して迷いを見せる、ナイーブな一面を捨てきれないハサウェイ。一方、直情的にものを言う快活さをもつ一方、鋭い感性が時に己自身を傷つけてしまうこともあるギギ。出自も考え方も違う2人が今後どういった変化を見せてゆくのか、次作に注目されます。

○なんのかんのと言っても嬉しい新作!

とはいえ、機動戦士ガンダムの新作が公開されたことには違いありません。バトルシーンの演出もスピーディーで、緊迫感があり、Ξガンダムペーネロペーが劇場スクリーンを所狭しと雄飛する姿だけでも、モビルスーツファンにとっては大きな喜びがあるでしょう。ガンダムシリーズの最新作『閃光のハサウェイ』は、全国の劇場で上映中です。ぜひ一度、映画館に足を運んでみてはいかがでしょうか。

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』公式サイト