青の書斎

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古今和歌集・春歌上・5番歌「梅がえにきゐる鶯 春かけて鳴けども いまだ雪はふりつゝ」

・詞書

題しらず

 

・作者

よみ人しらず

 

・歌

梅がえにきゐる鶯(うぐいす)

春かけて鳴けども

いまだ雪はふりつゝ

 

・訳

梅の枝に来てとまるうぐいす

春をかけて鳴くが

いまだに雪は降り続いて。

 

〇「梅に鶯」の取り合わせ

取り合わせのよいものを指した「梅に鶯」という言葉がありますが、これにはバリエーションが複数あります。

 

・松に鶴

・竹に虎

・竹に雀

・紅葉に鹿

・獅子に牡丹

・波に千鳥

・柳に燕

 

どれも絵になるような、相性のよいもの同士であることを指します。面白いのは、竹の中でさらに2バージョン分化してあること。虎と雀とでは勢いも力強さも全く異なるので、どちらを好むかでその人の趣向を探れる気がしておもしろ気です。

 

〇春の歌にあえて「春」を入れる意味

梅の枝にとまった鶯。似つかわしい取り合わせですね。梅を初句に置き、第二句ではその枝に来てとまる鶯が登場します。春の歌として、穏やかな歌い出しだと感じます。言い換えれば、それだけで「ああ、これは春の歌だ」と理解することができるわけです。それにもかかわらず、この歌にはわざわざ「春」という言葉が詠み込まれています。

 

31文字という限られた字数を駆使して歌を詠むため、いらないものはそぎ落として、真に必要なものを配置する。それが和歌の基本姿勢だと思います。「梅」「鶯」は春の代名詞的存在なので、「春」という単語を差し挟む必要は本来ないはずです。むしろ、当たり前に分かっていることを繰り返して、野暮な感じになってしまうかもしれません。

 

今回の見所は「春かけて鳴けども」です。
「鶯が枝にとまっている、鳴いている」と詠むのはかんたんですが、どんな様子で鳴いているのか、それをどう描写するのかは、作り手のうで次第になると思います。

 

この歌では、「鶯が、くる春を心にかけ、思いながら鳴く」とすることで、春を待つ作者の、ひいては人々の気持ちを、鶯に託しているとみることができるように思います。そういう歌を作りたいなら、「鶯が『春』を心待ちにして鳴いている」というように、「春」のワードがしっかりと入っていた方が、歌の趣が分かりやすくなりますね。

 

さらに梅、鶯、それらをつなぐ春、という温かな色味を持った言葉が上の句に連なる一方、下の句では「雪はふりつゝ」とあり、気候上は雪の降り続くことが示されます。前半と後半とを境に、春と冬とのせめぎあいが起きているのですね。

その対比の構えを強調する意味でも、「春」の言葉が入っていた方が、歌の趣がはっきりとするように思います。このように、歌全体の価値を確かなものにするためには、一見不要と見える情報を取り込むこともある、と言えるのではないでしょうか。

 

〇雪はふりつゝ…の余韻

春を待つ鶯が鳴くけれども、立春そこそこの早春では、まだまだ雪が降り続いている。しかし鶯が鳴くからには、確かに春は近づきつつある。色々な気持ちが想像できます。

 

明るい上の句に対して、下の句は「雪降り」によって明らかにトーンダウンしています。その、雪の降り続くシーンをイメージさせながら徐々にフェードアウトしていく、そんな効果を発揮するのが「つつ」です。繰り返しや継続を表す言葉ですね。上品な余韻を残しながら、歌は終えられています。

 

〇各句に配された名詞と起承転結

初句の「梅」

二句の「鶯」

三句の「春」

結句の「雪」

 

それぞれの句に配置された名詞を俯瞰すると、「梅がある、鶯が鳴く、春らしい、しかしまだ雪が降る」と、ある種4コマ漫画のように起承転結を追うことができます。この点も歌に心地よいリズム感を与える重要な要素であるように感じます。

 

次回、6番歌に続きます。